山頂6時雨
気温 9.2度
風強風
視界50メートル
昨日は一日中雨とガスと風の中だった、今日もつづくのか。下界からカニカマのソーダ味が届いた。焼いてもマヨネーズかけても醤油かけてもソーダ風味は取れなかった。
2019.8.29
〜誤算シリーズ4〜
山はいつも心をフラットにしてくれる。
下界にいては、なかなか気付く事のできないあれこれを見えやすくして思い出させる。
いつでも、いつの日も日常に起こる全ての事象の本質を捉え、ベストな選択、それに伴う行動を心がけるが、いつのまにか現実の周りの状況と忖度し、信念とは逸脱した結果にたどり着く事もある、よくある。
それに全く気がつかない場合もあれば、迷いや後悔となり傷を残す場合もある。
生きるとはそういう事だと割り切ってしまえばそれまで、なんて思う方がよっぽど大人っぽい振る舞いと言えるかもしれないが、やはり信念をどこまでも貫きたいという自分がいるようだ。
本当に面倒くさい男だ。
何百年、何千年とありのままの姿の標高2100メートルの地で暮らし、ちっぽけで何者とも言えない未熟者の自分の姿を露わにし、今一度自分の信念について思い巡らす事の出来る時間、これ程の贅沢があっていいものだろうかと、我ながらこの運命に感謝しつつ、それこそが真の目的だったと知るのは何年目の事だったか、ほとんど予想だにしなかったこの効果は、何度も自分を救い、戒め、確実に今の自分をつくっている。
山で暮らすとは、神と暮らすとはそういう事だった。
山に行けば自分独りになれる、そう思い込んでいたが。
まさか神様と暮らす事になるとは、これも一つの誤算であった。
つづく。