山頂6時 くもり
気温8.5度
風 無風
視界50メートル
光を通す浅いガスの中、もうすぐ晴れそう
2019.8.26
〜誤算シリーズ1〜
山頂に在る景色は、神社や山小屋などの人が造った一部のものを除けば、100年200年、又は1000年2000年とほとんど変わらない自然のありのままの姿だと言える。
これがつまり人間の目に映る時、美しいとか、素晴らしいとか、恐ろしいとか、心を揺さぶり感動というような心理状態を生むのではないか、と思う。
風が吹いて雨に叩かれ、岩が崩れ地形が変わる。
地震に揺れて、マグマが吹き出し、地が盛り上がり穴が空いて形を変えながら。
現在が在る。
ただ今が在る。
地球ができて、水が溜まり、生物が生まれて、人間ができて、家族をつくり、街ができて国がある。
服を着て靴を履いて、皿や包丁をつくり、狩に役立つ武器を作る。
家を建て、橋をかけ、病院をつくり、学校を作った。
言葉がうまれ通じ合い、愛し合い、憎み合い、殺し合ったり、解り合ったりした。
いつまでたっても愚かなままで、どこまでいっても暇を持て余し、余計なことばかりを熱心にやり続ける、まるで世界を征服したような気になっている愚かで滑稽で可愛らしくて愛おしい、それが人間というものだ。
巨大な噴火口に水が溜まり鳥海湖となった事と、だだっ広い田舎町の空き地に巨大なショッピングモールができあがる事に大差は無い。
いわゆる自然の中に暮らす、山頂に暮らすということは、何もかもが自然の中にある事を思い知ることに違いない。
これが最初に気がついた山小屋生活一つ目の誤算。
誤算シリーズスタート。