山頂記録2018.7.30

7月30日 am5時30分
気温:14.5度
風:無風
視界:良好
結局昨日は下界の好天とは真逆の荒天が夕方まで続いた。今朝はそれが嘘のようなすっきりとした青空。今日からまた夏の日々が山頂にも戻って来そう。

 

 

これは人に限らず、動物の多くがそうであるように、命は産まれてすぐは自分では何も出来ず、母や父、又はその家族、又は他の誰かに育てられる。
自分の場合は自分を産んだ父と母、いわゆる普通の家庭で普通に産まれ、その2人の親という存在の人柄と愛情と常識の元育てられていった。
両親は共働き、幼少期の記憶はほとんどない。
小さな子供にとって親というものはまるで神の如き存在、まさにパーフェクトヒューマン、その存在無しでは生きられないとわかっていて、実際の親の出来、不出来に関わらず自分の親を信じてついて行くしかないものだ。
小学生になり、自分で歩いて学校にいくようになると一気に世界は広がり、友達の家に行きその家族と会ったり、沢山の人と接する機会も増え、それまで自分の家の中が世界の全てだったのが、様々なパターンの家庭、人間を見て比べ、あの家はこうだがウチはこう、あの人はこういう人でウチの親はこういう人、という風にだんだんと周りの子供や大人たちを見定めるようになってくる。
中学に入る頃には身体も出来上がってきて、親と過ごす機会は減り、学校というコミュニティが世界となり、先輩、先生、友達、それぞれに対して自分の判断で付き合って行くようになる。
親に頼らず生活の大部分を自分の判断で選択出来るようになり、自分の思い通りにならない事にストレスを感じたり、賛同できない大人の意見に反発したり、自我の確立の始まりは大抵、

自分の事は自分にしかわからない、

自分の事は自分しか知る事はできない、

自分は自分しか知らない、

自分の事は自分が一番よく知っている、

となるものだ。

そんな中、選択授業のダンスを通じて自分の知らない自分の存在を知り、それを意識する事により、

「自分への興味」

という、
人生を捧げるに値する果て無きハテナ❓に遭遇したのである。

つづく。